2008 年 12 月 18 日

次回のコミキャン新聞 2回目のこどもネタ担当

カテゴリー: コミキャン研究所 — nicole @ 10:34 PM

次回コミキャン新聞の記事の中で2回目のこどもネタ担当となりました。めずらしく(?)締切に向かってただいま記事を作成中です。

さて、前回書いた名前の件ですが「とらお」となりました。

とらお君のここ最近の様子を伝えられる文章をきちんと書けるか、あまり自信はありませんが、一生懸命書いています。

自分の中で「答え・解答」がない状態なので、よくわからない文章となるかと思うのですが、よろしくお願いいたします。

2008 年 11 月 23 日

子どもたち・・と自分

カテゴリー: コミキャン研究所 — audrey @ 4:07 PM

今も、子供たちと向き合いながら、こどもたちの思いと自分の思いがびりびり伝わってくる。

私にはまだまだ思惑があり、抱きしめることさえもできていないときがある。

でも、こどもはそれを感じて少しでも受け入れられようと必死で訴えてくる。

向き合えない・・・・。

それとの戦いだった1週間でした。

少し余裕ができたとき、自分の体がいっちゃってて、ま向き合えなかった。

でも意識がいっているだけでこどもは安定していた。

こんなにリアルタイムで反応されると、うれしい反面怖くなる。でもでも・・・

やっぱり子供は最高だ!!!

2008 年 11 月 15 日

MiのメールへNoの母親Na(30歳)の返信(育っていく環境)

カテゴリー: コミキャン研究所 — elephant man @ 1:23 PM

Subject: Miへ メールありがとう

子ども軍団のMiへ

 メールありがとう。

私もKoのことそして子ども軍団のみんなのことが気になります。

でも、気になるだけで、なにもできていません。

気になっているのに、なにもしないのは、全くいけないことだと思いました。

ちょっとずつ、できるところから、なにかしていこうと思います。

(と、全く具体的ではありませんが・・・)

 

私が小さかった頃、あまり思い出したくない小さかった頃、

友達との楽しい思い出もたくさんありますが、

生きていく根底には、重たい気持ちがありました。

それは「大好きな弟」が「障害児(自閉症)」であるために世間からの無言の『違う』という烙印を押されている感覚。

そしてそんな世間の価値観に対して弟のことを「大好き」と押し通さなかった、多数派に流れ弟を疎ましく思った、自分の意気地なさ。

そう、自分の意気地なさがいやで、あまり小さいときのことを思い出したくないのだと思います。

 

そんな意気地のない私は、「どこかへ家族旅行へいこうか」といわれても「そんな生き恥をさらすようなこと!」と思い「いやだ」と言っていた。

(おかげで、家族旅行は滋賀の祖父母の家に行くか、障害児キャンプぐらいだった)

 

今、子ども軍団やコミキャンに関わる人に思うのは、「周りに話が出来る人がいることの幸せさ」です。

血縁だけでないつながりの中で、いろんな人の中で、家族のこと自分のこと将来のこと過去のことについて話しが出来ることは、本当に宝のように思います。

 

これからもいろんなことをみんなで話し合いながら子育てをしていきたいと思います。

 

来週の通院で「くまたん」の予定日も分かると思います。

「生まれてくるところ(コミキャンの世界)は、おもろいとこやで~」と毎日「くまたん」に話していきたいと思います。(胎教?苦笑)

 

これからもよろしく。

 

コミキャンスタッフでNo(6歳)の母~Naより

Subject: コミキャンスタッフの皆さんへ(子ども軍団Miより)

11月12日に、私とKoの戦いがありました。

Koは、怒るとすぐに、家を出て行きます。

その日も、私がいすに足を置いたのが気にくわなく、

家を出て行きました。

Koが家を出て行くのは、おこったから出て行く。

と、私は、思っていました。

でも、違いました。

Koが家を出て行くのは、怒ったからでもなく、

すねているわけでもなく、

相手に謝らすためだったのです。

Koは、人に謝らすことは、得意だけど、

自分から、人に謝るのは、とても嫌がります。

もしかしたら、苦手なのかもしれません。

私は、その時思いました。

 

Koは、私がいくら怒っても、おこっても、

頭の中に入っているのは、

ほんのわずかなことだけでした。

正直言って、悲しかったし、悔しかった。

Kaちゃん(Koの母親)は、

「これが、アスペや。」

と、言いました。

その時は、「そっか。」

と言いましたけど、

正直、悔しかった。

そして、Koは、みんなと同じように、

あつかおうと決めました。

そして、これからは、子供軍団、最大の難関です。

子供軍団一人ひとり、

とても、乗り越えられない目標を

これからは、あたえたいとおもいます。

Kan(2歳)は、「人を叩かない」

Ko(4歳)は、「社会を知ってもらう」

No(6歳)は、「お母さんを大切にする」

ももね(9歳)は、「すぐに、エッチな方向にはしらない」

Mi(12歳)は、「お母さんと一緒に住む」

みんなには、普通なことでも、

私たちにとっては、大変なことです。

これから、一人ひとりをその人らしく育てます。

なので、これからは、

みんなから、たくさんの意見をききたいです。

なにか、きずいたら、きになることがあったら、

何でも、いってください。

そして、子供軍団のことよろしくお願いしま

 

コミキャン子ども軍団12歳のMiより

081115~コミキャン子ども軍団がいよいよ表舞台に、自分達の意志で!

カテゴリー: コミキャン研究所 — elephant man @ 12:48 PM

 081115~コミキャン子ども軍団がいよいよ表舞台に、自分達の意志で!(小西)

今までの大人たち(行き詰っている専門家達も含めて)のやり方に対する「対案」をコミキャン子ども軍団を中心にメッセージとして外の社会に出していきます。

来年度から、Miは中学生、Noは小学生に!

「勉強とは何か?」「育っていく(教育=育学)~学習していくとは何か?」

「みんなで育ちあい、学びあって行くコミクール」(勿論英語も音楽も数学も何でもあるよ~苦笑~)を立ち上げていきます。

Miは保育士を仕事としたい!という意志を持っています。

「誕生からスタートする人間のドラマ」をテーマにして!

ピアノの技術も必要になります。人間がやる事は何でも学んでいかねばなりません。

リーダーのMiの挑戦が始まります。

コミキャンもやっと10年を経て、その姿を現し始めました。

乞う!ご期待!

Sent:

Friday, November 14, 2008 11:24 PM
To: コミキャン
Subject: コミキャンスタッフの皆さんへ(子ども軍団Miより)

11月12日に、私とKoの戦いがありました。

Koは、怒るとすぐに、家を出て行きます。

その日も、私がいすに足を置いたのが気にくわなく、

家を出て行きました。

Koが家を出て行くのは、おこったから出て行く。

と、私は、思っていました。

でも、違いました。

Koが家を出て行くのは、怒ったからでもなく、

すねているわけでもなく、

相手に謝らすためだったのです。

Koは、人に謝らすことは、得意だけど、

自分から、人に謝るのは、とても嫌がります。

もしかしたら、苦手なのかもしれません。

私は、その時思いました。

 

Koは、私がいくら怒っても、おこっても、

頭の中に入っているのは、

ほんのわずかなことだけでした。

正直言って、悲しかったし、悔しかった。

Kaちゃん(Koの母親)は、

「これが、アスペや。」

と、言いました。

その時は、「そっか。」

と言いましたけど、

正直、悔しかった。

そして、Koは、みんなと同じように、

あつかおうと決めました。

そして、これからは、子供軍団、最大の難関です。

子供軍団一人ひとり、

とても、乗り越えられない目標を

これからは、あたえたいとおもいます。

Kan(2歳)は、「人を叩かない」

Ko(4歳)は、「社会を知ってもらう」

No(6歳)は、「お母さんを大切にする」

Mo(9歳)は、「すぐに、エッチな方向にはしらない」

Mi(12歳)は、「お母さんと一緒に住む」

みんなには、普通なことでも、

私たちにとっては、大変なことです。

これから、一人ひとりをその人らしく育てます。

なので、これからは、

みんなから、たくさんの意見をききたいです。

なにか、きずいたら、きになることがあったら、

何でも、いってください。

そして、子供軍団のことよろしくお願いしま

 

コミキャン子ども軍団12歳のMiより

2008 年 10 月 25 日

来月号のコミ新

カテゴリー: コミキャン研究所 — nicole @ 8:05 AM

コミ新、といって何のことかわかるのコミキャンの仲間とスタッフぐらいでね。すみません。

コミ新とは「コミキャン新聞」の略で毎月発行している新聞です。

子育てから感じることを書くコーナーがあり、来月号は私が書く番だったような・・・

(と言っている今日は締め切りまじか)

できれば家の様子だけでなく子どもと仲間との交流を書こうと思っています。

問題は・・・仮名・・・イニシャルでもいいかな~と思うのですが、書きづらいのでなにか仮名をつけようとおもうのですが・・・

ちょっと悩み中です

2008 年 10 月 24 日

子供たち・・・

カテゴリー: コミキャン研究所, 福祉の現場から。 — audrey @ 11:50 PM

最近、うちのKO(4歳)が保育園で成長しましたね!といわれました。

この間のMIとのやりとりがかなり影響していると思います。

私からみると、どちらかが面倒みているというよりかは、お互いに影響し合っている感じ。

一緒に生活するといのはこんなに大きいものなんだと実感しました。

こどもを見ていると作為がなく、すごくシンプルに見える。

だから、時間が短くコミュニケーションがとれてこじれることも少ない。

相手を受け入れるって難しく思ってしまうけど、それはじつは簡単なことで相手を信じればできるんだとここ最近改めて感じました。

2008 年 10 月 23 日

コミキャンと外部世界の差は?人間の存在が最高の薬?

カテゴリー: コミキャン研究所 — elephant man @ 1:39 PM

新人がコミキャンに入ってくる。外の経済社会の世界では決められたことを忠実に作業として実行し、効率主義機能主義が最優先する。なぜなら外の経済社会では(給料をもらうこと)あらかじめ「商品?」が決まっておりそれを最善で実現することだから。
ところがコミキャンでは「新しい商品?を開発すること」がメインになっている。
発想が外の世界と違っている。コミキャンは「精神の病」と日々向き合っている。そこでの「薬」とは?
一般的に言えば、石油精製品が薬である。しかし、コミキャンの発想ではそれは「応急措置の薬」でしかない。コミキャンは根本的な薬は豊かな人間の存在であり、群がって生きていくその治癒空間そのものが薬だと考えている。ですから日々試行錯誤を続けながら最高の薬を生み出していこうと!日々を積み重ね続いていく。コミキャンの仲間・スタッフの人格的な成長が豊かな薬として機能していく。新人がコミキャンに入って6カ月経過して昔の同級生と久しぶりに話し合ってみる。すると立っている場所がかなり違ってきていることに気付き始める。「あれれ?」
もちろん、経済社会の中で生きているのだから、そのための部分的な道具や作業のスキルはどこでも同じである。そこでは効率主義・合理主義(ホウレンソウ)はもちろん不可欠ではある。しかしその作業を通して「仕事に発展させていく方法」は全く違ってきてしまう。
しかし新人はそれを言葉にしてまだ語れない!しかし、これからが楽しみである。

2008 年 10 月 19 日

旧石器時代の音

カテゴリー: コミキャン研究所 — nicole @ 1:06 AM

18日、土取利行さんのレクチャーへ行きました。

そこで旧石器時代の音楽を聞きました。

正直まだ飲み込めていなくて、表現もできません。

ただ、そこに集まった人は、旧石器時代など人類の原点になにか答えを求めているのかな~という印象を受けました。

生きるか死ぬか、壮絶な毎日を送っていたであろう人々・・・

ふと、文化が農耕へと移ったとき、人々はめちゃめちゃほっとしただろうな~と思いました。

もっと幸せになると信じて、狩猟から農耕へ・・・そして近代・・・このものと情報にあふれた時代へと・・・

もっと幸せになるだろうと信じていたのに、なぜそんなに幸せな世の中ではないのだろう???

便利になった、ように見えて、実はいろんな制約・ルール(さまざまなもの)に縛られているのかな~?

あっという間の2時間45分でした。

はじめて聞いたんだけど、異質な感じがしなかった、

教科書で習うより、肌で感じることができて、人類の流れ・つながりがイメージできたように思えました。

2008 年 10 月 10 日

「どんな困難な問題も誰も」断らずに方針を出し続ける!コミキャン。

カテゴリー: コミキャン研究所 — elephant man @ 9:05 PM

2008年4月コミキャンのメッセージを見失わずに~世代交代がこれから始まりました。

コミキャンのメッセージは日本にはひとつしかありません。

専門化し、分業が徹底化している現在の21世紀の人間社会で「どんな困難な問題も誰も断らずに」「人間の力を信じて」方針を出し続ける!コミキャン。

連帯を求めて孤立を恐れず、、、1993年からスタートした「ふれあいゼミナール」から見えてきた「障害者問題」「精神病の問題」「人間の社会そのものの問題」。

そこから5年1998年4月「コミキャン」は誕生した。そして実りある試行錯誤の積み重ねを10年!やっとその形を現してきた。しかし、組織の強化には手をつけず、少ない資源で、組織を犠牲にしてここまでやって来た。ただただ、「どうにかして欲しい」「助けてください」「様々なSOS」等の社会的な要請に答えて立ち続け、、、気がついてみたら現在のコミキャンが!残っていた?

大きな矛盾を抱えながらも仲間とスタッフは全ての問題を引き受け続けて10年~精一杯生きてこれた。そして奇跡的に?生き残った!

そしてこれからの10年(2008~2018)の第二ラウンドが始まる。其れは世代交代と同時に進行していく。現時点の年齢層は1歳から80歳までの老若男女「非血縁家族のチーム」で、これからも群がって24時間365日態勢で進んで行きます。生活全てを賭けて。私達原生人類30000年の豊かな経験体験をみんなと共に味わい学びあいながら。

これから10年いよいよ(生き残れる)組織作りに入ります。どんなコミキャンチームを作れるのか?コミキャン100年計画は何処まで?

日々連帯!日々感謝!

2008 年 10 月 8 日

コミキャンと交差するかもしれない~音楽から3万年の歴史を!

カテゴリー: コミキャン研究所 — elephant man @ 11:44 PM

コミキャンと交差するかもしれない~音楽から3万年の歴史を鳥瞰するしようとする!

大阪では10月18日19:00~西長堀駅そばで「縄文・旧石器時代への音の旅」の音楽レクチャーがあります。興味のある方は~

子ども達に感じてもらいたいけど、、、まだかな?

壁画洞窟の音 旧石器時代・音楽の源流をゆく  [著者]土取 利行   青土社
■遺物、空間から響きを再現      [評者]港 千尋 (多摩美大教授)

 先史時代の洞窟(どうくつ)にバイソンや馬の壁画が残されていることは、美術の始まりとして教科書にも記されている。三万年も前に溯(さかのぼ)る昔のことだから、どのような目的で描いたのかは分からないが、現代人がその絵を見て感動するということは、少なくとも似たような心の持ち主が作者ではないかと想像させる。もしそうならば、彼らは描くだけでなく、歌い、踊り、楽器を鳴らしたのではないだろうか。本書は、美術に比べて、これまでほとんど知られてこなかった、音楽の先史時代についての本格的な考察である。
 これには音響考古学という面白い分野がある。鍾乳洞はそれ自体、自然がつくった楽器のようなものだが、内部の反響や残響を調べてゆくと、音の響きが格段によい場所に壁画が描かれていることが多い。ここから、絵と音の間には何らかの関係があるのではないか、という推測が出てくる。また旧石器時代の遺物には、骨で作られた笛や振り回して音を出す唸り木(ブル・ローラー)と呼ばれる骨製の板も見つかっている。音を出す以外の目的が考えられないこれらのモノが、楽器として演奏されたことは想像に難くない。
 絵の具のような物質として残らないところに、音楽の起源を探究する難しさがあるが、本書の強みは言うまでもなく、著者が世界的な音楽家だというところにある。さまざまな民族音楽とのコラボレーションを通じて、空間も時間も超えたところにある、音楽的感動の普遍性に通じているからこそ、実験的なアプローチも説得力をもつ。
 わたし自身、本書で詳細に報告されている洞窟内部の演奏に立ち会う幸運を得た。林立する無数の鍾乳石に彼の指が触れただけで、闇全体が美しい和声を奏でるオーケストラに変貌(へんぼう)したときの感動は一生忘れられない。魔法のようだった。その類(たぐい)まれな感性と科学的思考が結合し、本書はひろく読者の好奇心を誘うだろう。

2008年9月21日  東京新聞 中日新聞 書評欄

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■音楽誕生の謎を解く  【評者】田中純(思想史家)
 音楽家・パーカッショニストである著者は、縄文土器から復元された太鼓「縄文鼓」の演奏で知られ、『縄文の音』という著書もある。本書では、時代をさらにさかのぼり、旧石器時代における音楽誕生の謎が解き明かされてゆく。
 おもな舞台になるのはヨーロッパの壁画洞窟(どうくつ)である。ラスコーやアルタミラといった洞窟で有名な動物壁画は後期旧石器時代に描かれた。著者は南仏のレ・トロア・フレール洞窟に入る幸運に恵まれ、楽器らしきものを手にする半人半獣像の下で、鼻笛を演奏する。そのかすかな音は洞窟内で豊かに共鳴・増幅し、残響が闇の彼方へと消える――著者はそのとき、洞窟それ自体が「楽器」であり、「音楽」であることを知る。
 洞窟はおそらく、美術の始原の場所であるとともに、音楽の源泉でもあったのだ。音響考古学の成果によれば、洞窟空間の響きと壁面の絵画や記号との間には、意図的な関連まで存在するらしい。また、洞窟内の岩襞(いわひだ)をクロマニョン人たちがリトフォン(石琴)として打ち鳴らしていた跡も見つかっているという。
 認知考古学に基づく音楽起源論などの話題も押さえられているが、著者の面目躍如たるところは、洞窟の石筍(せきじゅん)を使って、実際に演奏を行っている点だろう。真っ暗闇の中、それぞれの石が秘めている「音の核」を感じ取り、腕は自然に動き出す。鈍い低音の響きとともに地面は揺れ、長い残響や他の石筍との共鳴によって、洞窟全体が振動する。それは広い海や羊水に浮かんでいるような、至福の瞬間だったという。
 動かぬ「楽器」である洞窟のみならず、トナカイの骨による旧石器時代の笛など、「動産芸術」としての楽器をめぐる記述も豊富である。巻末で、故郷の石・サヌカイト(讃岐岩)の原石に日本における旧石器時代の楽器を見ようとする著者の視線には、原風景へと向けた二重の郷愁が宿っている。太古の音楽への強い憧(あこが)れを誘う、刺激的な探究の書だ。
 
(2008年10月6日)   読売新聞 書評欄

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■生命の産声を聴いてみたい       (評者) 藤原智美 作家
 太古の時代にさかのぼり、そのとき人類がどんな暮らしをしていたかを想像する。目に浮かぶのは毛皮に身を包み、髭(ひげ)もじゃもじゃの「原始人」。手にしているのは石の斧(おの)や矢だろうか。
 しかし、石器ではなく楽器を手にする彼らを思い浮かべる人は、少ないに違いない。
 この本で私ははじめて、音響考古学という言葉を知った。たとえばヨーロッパにはアルタミラ洞窟(どうくつ)の発見(1879年)以来、350ほどの洞窟壁画が発見されている。それらの中には、壁画の周辺が楽器演奏の場となっていたのではないか、と推測されるものも多いという。
 著者は前衛ジャズの音楽家であり民族音楽研究者である。彼はフランス南部にある全長800メートルにおよぶ、レ・トロア・フレール洞窟に入る。目的は「小さな魔法使い」とよばれる、弓の楽器を奏でる半人半獣の壁画を見るためだ。クロマニョン人、つまり私たちの直接の祖先が数万年前に描いた絵である。そのころからすでに楽器、音楽は人類のものだったのである。
 その絵に到達する途中、彼は持参した鼻笛をとりだし試しに吹いてみる。複雑に入り組んだ洞窟で音はどのように響くか? 案内者たちも灯(あか)りを消し、漆黒の闇のなかで、そのデリケートな音色に耳を傾ける。
 「その音は人の声のように増幅されては返ってくる。洞窟が新たな生命の産声を発している」
 笛の音色がやんでも、その不思議な余韻にしばらくだれも動こうとしなかったという。この描写を読んで、その音色をぜひ聴いてみたい、と思わない人はいないのではないか。
 数ある洞窟のなかには、石襞(ひだ)や脊柱(せきちゅう)に不自然な窪(くぼ)みが発見されることもある。長い間、打楽器として使っていた証拠である。リトフォン(石琴)は、すでに数万年前から生活文化の中に根ざしていた。
 「洞窟そのものが音楽であり、楽器である」
 もしかすると、ヨーロッパにある古い教会の空間内部における反響音のすばらしさは、クロマニョン人の音楽文化を伝承しているのかもしれない、などと私は想像した。
 一部には学究的な記述もある。初心者の私は著者には失礼だが読み飛ばした。それでもなお、感動が残る1冊だった。

 =2008/09/21付 西日本新聞朝刊=

 

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『壁画洞窟の音』
人類が生きた痕跡 現場で探る    【宇佐美圭司】(洋画家)

 精神分析の創始者フロイトが晩年に唱えた「死の欲動」という学説がある。過酷であった第一次世界大戦を受け、人間について考え直したフロイトは、人間を含む有機物はもともと無機物であったから生命なき無機物へ還って安定しようとする欲動がそなわっている、という驚くべき無意識を主張した。
 無機物まで還らなくても人間の還る場所はほかにもある。現生人類がアフリカを出発して世界にひろまっていったこの十万年余り、その大半は狩猟採集の石器時代であった。ラスコーやアルタミラなどの洞窟壁画がわれわれのあこがれをさそう。映画にもなったマイケル・オンダーチェの小説「イギリス人の患者」では、サハラ砂漠の洞窟にあった泳ぐ人のイメージがモチーフになっていた。
 本書の著者は、洞窟が単に空間として存在だけではなかったと主張する。洞窟は人間の生活に組み込まれた場であり、祈りや呪術、祝祭などが一体化したものであったろう。人間の生きたしぐさや音は、はるかな闇のなかに消え去り、洞窟に描かれた絵だけが残され、われわれは残されたものからそこで何がおきたのかを想像するしかない。
 著者は想像をめぐらすだけでなく現場に立って、打つ人、吹く人、こする人になった。本書はその報告である。
 描くことも踊ることもリズムをとることも一つの雲につつまれようにからみあって沸きあがる。その生成する時間を再現するのは不可能だけれど、隔てられ、ひきさかれて、何か遠くに別々にあるようになった絵画や音楽の本来のあり方に光を当てようとする試み。
 著者は現代の音楽家である。今どのように音楽がなりたつかを考えることが彼の洞窟への帰還を促している。
 西日本において旧石器時代から石器に活用されたサヌカイトと呼ばれる”古代の石”の演奏でも知られる土取利行。その名前が徳島の土取遺跡から発しているという「運命」に支えられながら何千年もの人間の記憶に錘鉛をおろすような試みの今後にも期待したい。

共同通信配信(信濃毎日新聞)2008年8月31日(日曜日)

 

 

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『壁画洞窟の音』書評
音楽発生の瞬間求めて          青澤隆明(音楽評論家)

 
 土取利行といえば、一九九一年のピーター・ブルック国際劇団来日公演「テンペスト」の音楽が、いまだに忘れられない。砂を敷き詰めた簡素な舞台と相乗して、音楽的想像力の始源へと誘われるような体験だった。洋の東西を超えた音楽の発生を凝視するまなざしを感じたと思った。
 七〇年代に前衛ジャズのドラマーとして躍進した土取は、八〇年前半に弥生時代の銅鐸(どうたく)、半ばに讃岐の古代石「サヌカイト」、九〇年代からは縄文鼓の演奏へと向かった。
 彼はサヌカイトが旧石器時代後期の楽器としての可能性を秘めたものだと直感するが、確証は得られない。「日本文化の深層に蠢(うごめく)く音楽の貌(かたち)を探究してきた」彼が、旧石器時代の音楽に情熱を抱くのは必然だろう。
 だが、酸性土壌という地理的な条件により、日本での遺跡発見は難しい。パリの演奏会で会った聴衆の示唆もあり、フランスの洞窟(どうくつ)にその糸口を見いだしたのだった。
 「壁画洞窟の音」としてまとめられた本書は、旧石器時代の音楽概論である。南仏レ・トロア・フレールやクーニャックの洞窟で、鼻笛、骨笛、鍾乳石や石旬(せきじゅん)の演奏を体験した著者は、音楽家の直観を基に、先史学、民族音楽学、音響考古学などの研究成果もかんがみつつ、旧石器時代の音楽像を探し求める。
 壁画が残されただけでなく、シャーマニズムの聖域だったはずの洞窟は豊饒(ほうじょう)な音響空間でもあった。しかし、「無形の音は残存を拒み、痕跡を絶ち、刹那(せつな)に徹す」。壁画に描かれたイメージ、出土楽器の推察や諸学の知見から、著者は音楽の原像へと追っていく。
 音楽発生の瞬間を夢みる旅。それは人類の創造力の源泉を探る試みでもある。音楽は見えないだけに豊饒な想像力をかき立てる。その原初の地点に立ち、土取は音楽の在り方を根源から問い直していく。読み進むにうち、わたしの脳裏にも神秘の音が響く気がした。

 

河北新聞     2008年8月24日

 

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日経新聞 読書欄(あとがきのあと)
「壁画洞窟の音」、土取利行氏―体感してたどる音楽の根源
 「音楽はどのように生まれたのか」を追究し、時空を超える旅を続ける。復元した銅鐸(どうたく)を打ち鳴らし、八ケ岳山すその縄文遺跡で開口部にシカ革を張った復元土器を連打した。七年前にはフランス南部の壁画洞窟(どうくつ)で笛を演奏する体験に恵まれた。自ら演奏して得た知識と、認知考古学や音響考古学など最新の学術研究の成果を織り交ぜ音楽の根源をたどったのが本書だ。
 「明かりを消すと、洞窟全体が共鳴しているのが分かった。あまりのすごさに恐怖を覚えた」。演奏したのは、近くで聴かないと聞こえないくらいの小さな音しか出ない笛だったが、洞窟の中では想像できないほどの大音響に変わった。本と同時発表したCDによって“追体験”もできる。
 先史人はなぜ、光の届かない洞窟の壁に牛などの動物や半獣半人の絵を描いたのか。「音響考古学の最近の研究成果によると、音響効果が強く表れる場所に描かれることが多いと分かってきた」
 壁画洞窟は儀礼を行う場であり、自然から巨大なエネルギーを授かることができる空間だったとする仮説もある。獲物がとれるようにとの思いを込めて、エネルギーが最大になる場所に動物を描いたのだろうか。
 人間と自然の橋渡しをしたのはシャーマン(宗教的職能者)だった。「言葉が生まれる前、音は重要なコミュニケーションの手段だったはず。声など人間の体が発する音の限界を超えようとして(特別な存在である)シャーマンが考え出したのが楽器だったのではないか」と推測する。
 とはいえ、動物の骨など有機物が残りやすい欧州と違って酸性土壌の日本では石器以外の遺物が残りにくく、少し違うアプローチが必要になる。そこが最大の課題だが、おぼろげにも浮かび上がってきた音楽の「原像」を確かめるまで、旅は終わりそうにない。(青土社・二、二〇〇円)
(つちとり・としゆき) 1950年香川県生まれ。音楽家。ジャズで音楽活動を始め、70年代後半以降ピーター・ブルック国際劇団で音楽担当。著書に『縄文の音』など。

 

[9月7日/日本経済新聞 朝刊]

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